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首里城
首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。心身浄化、縁結び、安全祈願、対人関係を良くする、開運にご利益があるとされています。
首里城の創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。
他の日本の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に赤瓦が使われ、各部の装飾には国王の象徴である龍が多用された。また、戦乱のない琉球王朝時代に再建されていることもあり、軍事目的よりも政治の中心地としての役割を中心にして設計されている。
首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもある。以前は城内には十か所の御嶽(うたき、琉球の信仰における祭祀などを行う施設)があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた。「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった。
敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であったため、その構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられ、主として女性の拝む姿がよく見られた。しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。
奉神門の手前にある礼拝所「首里森御獄(すいむいうたき)」が隠れたパワースポットだという。首里城内でもっとも格式の高い拝所の一つであり、かつては城内にここを含めて「十獄(とたけ)」と呼ばれる十カ所の拝所があったという。
住所 沖縄県那覇市首里
川平湾
川平湾(かびらわん)は、沖縄県石垣市の石垣島北西部にある湾である。1997年9月11日に「川平湾及び於茂登岳」として国の名勝に指定されている。2007年8月1日に西表国立公園が拡張され西表石垣国立公園となった際に、指定地域に編入されている。
湾内の海は、光の加減や潮の満ち引きにより刻々とその色を変え、石垣島を代表する景勝地と評される。湾口をふさぐように横たわる小島(くじま)をはじめとする小さな島が湾内に点在し、海中には数多くの種類の造礁サンゴが群落を形成している。
湾内のサンゴ礁の景観は観光用のグラスボートから鑑賞することができる。潮流が強いため遊泳は禁止されている。恋愛運アップにご利益があるとされています。
住所 沖縄県石垣市川平
久高島
久高島(くだかじま)は、沖縄本島知念岬の東海上5.3kmに浮かぶ、周囲7.8kmの細長い小島。子宝にご利益があるとされています。
北東から南西方向にかけて細長く、最高地点でも17mと平坦な島である。土質は島尻マージと呼ばれる赤土で保水力には乏しい。河沼はなく水源は雨水と湧き水を貯める井泉(カー)に依存している。海岸沿いには珊瑚礁で出来た礁湖(イノー)が広がっている。
琉球王国時代には国王が聞得大君を伴って島に渡り礼拝を行っていたが、後に斎場御嶽から久高島を遙拝する形に変わり、1673年(延宝元年)からは、国王代理の役人が遙拝を務めるようになった。
沖縄の祖神、アマミキヨが降り立ったのが、久高島のカベール岬とされている。カベール岬には「生まれ変わりの岩」があり、この岩の窪みに入って出ることで生まれ変わりの儀式ができるという。
住所 沖縄県南城市知念
斎場御嶽
斎場御嶽(せーふぁうたき/サイハノうたき)は現在の南城市(旧知念村)にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。縁結び、厄除け、仕事運などのご利益があるとされています。
御嶽(うたき)は、琉球の信仰における祭祀などを行う施設である。「腰当森(くさてむい)」、「拝み山」などともいう。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされる。なお、三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができる。
住所 沖縄県南城市
フボー御嶽
クボー御嶽(フボー御嶽)は、沖縄本島東南端に位置する知念岬の東海上5.3kmにある久高島(くだかじま)にある御嶽(うたき)。御嶽とは「神の鎮まる森」という意。子孫繁栄のご利益があるとされています。
クボー御嶽(フボー御嶽)は、昔神々が天下りされた七御嶽のうちの一つと云われる。現在でもこの敷地内の円形の広場はイザイホー、フバワクなどの祭祀所となっており、聖域の場所でかつ男子禁制の場所としても有名であった。ただし、現在は完全に立ち入り禁止となっており、久高島の神女以外は入れない禁足地である。
住所 沖縄県南城市知念字久高
ガンガラーの谷
ガンガラーの谷は、沖縄本島の南城市にある鍾乳洞およびそれが崩れてできた谷。子宝運のご利益があるとされています。
およそ1万7000年前に存在していたとされている港川人(みなとがわじん)の居住区だった可能性があるとして、研究が進められている。
地元の人たちにとっての聖地で、入り口にそびえている通称ウフシュ(大主)ガジュマルは推定樹齢150年。イナグ洞(女性の洞窟)、イキガ洞(男性の洞窟)があり、女性の子宮をイメージさせるイナグ洞は縁結びに効果があり、イキガ洞は子宝に恵まれるという。「武芸洞」では発掘が行われている。
住所 沖縄県南城市玉城字前川202番地
宮古島
宮古島(みやこじま)は、沖縄本島から南西に約300km、経度 東経125度、緯度 北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島。南西諸島西部の島嶼群宮古列島に属し、先島諸島の一部を成している。宮古列島は宮古諸島とも言う。
「宮古島」という名称は、「ミャーク」もしくは「ミヤク」という音に当てられた言葉のようである。ミヤコの名称が歴史上初めて登場するのは、中国の元 (王朝) 元時代(13世紀)の歴史書『元史』の『温州府誌』からであり、「婆羅公管下密牙古人(ブラコウカンカミヤコジン)」が温州に漂着したと記述されている。「婆羅公(ブラコウ)」とは、城辺字保良を統治していた豪族のことだといわれている。
島全体に自然のパワーがみなぎるが、中でも宮古島の石庭はパワースポットとして注目されている。宮古神社(みやこじんじゃ)は金運にご利益のあるパワースポットとなっています。 こちらを参拝することにより、金運向上・商売繁盛・五穀豊穣・厄除開運のご利益があるとされています。
住所 沖縄県宮古島市上野宮国1426
大石林山
大石林山(だいせきりんざん)は、安須杜(あしむい)とも呼ばれ、沖縄本島のもっとも本土に近い最北端の辺戸岬の金剛石林山にある。
安須杜は地元では黄金森(くがにむい)と呼ばれ、沖縄の祖神アマミクが島造りの際、初めに造った聖地と言われている。
岬の背後には、琉球始祖アマミキヨが最初につくった山と伝えられる辺戸岳(248m)がそびえる。金剛石林山(こんごうせきりんざん)は、2億年前の石灰岩が雨水などで長い年月をかけて侵食されてできた、日本で唯一の亜熱帯カルスト地形。カルスト台地に石灰岩が露出している状態をピクナルといい、ここのピクナルは最大で約10メートルにも達する。
「御願ガジュマル(うがんカジュマル)」と呼ばれる樹齢150年のガジュマルがあり、パワースポットと言われている。
住所 沖縄県国頭郡国頭村字辺戸973-3
シルミチューの霊場
シルミチューの霊場(しるみちゅーのれいじょう)は、沖縄のうるま市の浜比嘉(はまひが)島にある伝説の遺跡。子孫繁栄などにご利益があるとされています。
浜比嘉島の南南東の比嘉集落の南端にある108階も続く石階段を登りきると、琉球開闢(かいびゃく)の祖神アマミチュー、シルミチューの居住跡があり、そこにある洞窟をシルミチュー霊場という。アマミチュー、シルミチューの居住した洞窟と伝えられている。洞窟内には鍾乳石である陰石があり、子宝の授かる霊石として崇拝されている。
シルミチューは、シディーン(生まれる)とチュ(人)の合成語。今でも、年頭拝みには比嘉のノロ(祝女)たちが浜辺から小石を1個拾い、洞穴内に安置された壺に入れて拝むという風習がある。
住所 沖縄県うるま市勝連比嘉
大神島
大神島(おおがみじま)は宮古列島に所属する宮古島の北にある島である。沖縄県宮古島市に属する。 開運全般、勝負事、受験などにご利益があるとされています。
大神島は神が宿る場所とされており、小さな島ながら様々な伝説が残っている。島を一周する道路を作ろうとしたが、工事関係者が次々と原因不明の病に倒れたり事故にあい、工事が中止され、現在もそのままとなっている。また海賊キッドの財宝が眠っているという説がある。島の周囲には様々な露頭・奇岩がある。
住所 沖縄県宮古島市
垣花樋川
垣花樋川(かきのはなひーじゃー)は、沖縄本島南部の玉城村にある湧き水。樋川とは水場のこと。日本名水百選の最南端の湧水。ガジュマルの巨木が枝を張り出す丘陵斜面の下にある。
右側から出る水を男(いきが)川、左側から出る水を女(いなぐ)川という。その下流の浅い水たまりが、馬浴(うまあみしー)川で、ここで馬に水を飲ませたり、馬の体を洗ったりしていた。樋川から流れた水は下の田を潤し、かつては稲作が盛んであった。
樋川から垣花の集落へは傾斜のある石畳道があり、かつては村の人々がこの川で水浴びをし、洗濯や野菜洗いをし、水を汲んでこの坂道を行き来した。石畳の途中には女達が一息入れた中休み(なかゆくい)石、上ユクイ石が残っている。近くには別の湧き水・仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)もある。
住所 沖縄県南城市玉城字垣花
黒浜御嶽
黒浜御嶽(くろはまうたき)は沖縄県宮古島市の伊良部島にある御嶽。佐和田の浜の礁湖に面する所に位置する。兄妹の産土神(うぶすながみ)を祀っている。
兄妹神の最初の子はブフズ(魚)で、二番目の子はアパ(魚)、三番目の子はウナズ(海蛇)だったので、それぞれ海へ放った。悲しんで、神様に相談すると、「夜、ユナの葉を二人の間に置いて寝なさい」との教えがあった。そのとおりに暮らしていると、四番目に人間の子が誕生し、島中に広がっていったと伝わっている。
旧6月の酉(とり)の日に行なわれる「六月願い」の祭祀には、佐和田、長浜に生まれた女の人や、黒浜御嶽にお願いをして子宝に恵まれた夫婦は、毎年参加する習わしである。この「願い(ニガイ)」が終わると、旅に出ている人の無事を祈って「プカウザキ」を海に向かって行なう。子宝に恵まれるとも言われている。
住所 沖縄県宮古島市伊良部佐和田
玉陵
玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。
そもそもは第3代尚真王(在位1477年 – 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。
住所 沖縄県那覇市首里金城町
久米島
久米島(くめじま)は、沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は1万人弱で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。面積は59.11km²で、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。子宝にご利益があるとされています。
火成岩からなる島で全体に山がちではあるが、東海上には「ハテの浜」と呼ばれる全長5km以上ものサンゴ洲島 (coral sand cay) が連なっている。
パワースポットとしては、大きな割れ目のある岩「ミーフガー」がある。女性が拝むと子宝に恵まれるとの言い伝えがある。
「太陽石」は、比屋定集落の東にある巨石。農作業の時期を知るために日の出の位置を線で刻んだといわれている。
島の東にある奥武島の海岸に「畳石」がある。五角形や六角形に区切られた火山岩(安山岩)が整然と並ぶ柱状節理。岩の直径は1mにも達し柱状節理の直径としては極めて大きい。
島西部に「ヤジヤーガマ」と呼ばれる鍾乳洞がある。全長800メートルにも及ぶ規模である。明治時代まで風葬に使われていたという説があり、洞窟内には今でも骨壷(厨子甕)や人骨が見られる。
島西部に「おばけ坂」と呼ばれる短い坂がある。下り坂だが途中から上り坂に見えるため、物を転がすと上り坂を上っていくように見える。
久間地集落にある樹齢約250年のリュウキュウマツ「五枝の松」は、国の天然記念物。日本国内でも1本の松がこれだけ枝を広げた姿は珍しい。宇根集落の喜久村家の庭に、樹齢250年以上といわれる2株の大ソテツ「宇根の大ソテツ」がある。
住所 沖縄県島尻郡久米島町
ミーフガー(女岩)は沖縄県島尻郡久米島町の久米島にある奇岩。子宝のご利益があるとされています。
裂かれたように穴が開いている奇岩で、女性のシンボルとされている。子宝に恵まれない女性がこの岩に拝むとご利益がある、言い伝えられています。
5月のテッポウユリの時期は花の見所としても有名。ミーフガーのすぐとなりには軍艦岩と呼ばれる岩もある。
兼城港のすぐ沖合いには、「男岩」と呼ばれる小島もある。カラス(ガラサー)の溜まり場だったことから、「ガラサー山」とも呼ばれ、男性が拝むと自信回復につながという。
住所 沖縄県島尻郡久米島町宇江城
通り池
通り池(とおりいけ)は、沖縄県宮古島市の下地島の西岸にある池。大小2つの円形の池で、海側(南側)の池が直径75メートル、水深50メートル、陸側(北側)の池が直径55メートル、水深40メートルである。地上からは2つの池が並んでいるように見えるが、これらは地下部分でつながっており、さらに海側の池は洞穴で海とも通じている。
この池は海とつながっているために潮の干満につれて水面が上下し、サーモクラインによって色が変化して見える。また、深度によって塩分濃度や水温に差があるため、多種多様な魚介類が分布しており、サーモクラインによる神秘的な景観とも相まって、絶好のダイビングスポットとなっている。
通り池には次のような伝説が伝えられている。
昔、この付近の木泊村には2軒の家があった。そのうちの1軒に住む漁師がユナイタマ(ジュゴン)を捕らえ、半身を切って隣家にも分けた。ユナイタマが海に助けを求めると、大波が3度押し寄せてユナイタマを運び去り、波が引いた後には、2軒の家があったところがぽっかりと池になっていた。
また、昔、下地島に住んでいた漁師が妻に先立たれ、残った子を育てるために後妻を迎えた。三人は仲良く暮らしたが、やがて自分の子が生まれると、後妻は先妻との間の継子を疎ましく思うようになった。ある日、男が漁に出かけると、継母は二人の子供を通り池に連れ出し、継子の兄を滑りやすいつるつるとした岩場に、実子の弟をごつごつとした岩場に寝かせた。
継母は夜中につるつるとした岩場に寝ていた子を通り池に突き落とすと、残った子を背負って一目散に家へと走り出した。すると、兄弟がいないことに気づいた背中の子は、継母にこうたずねた。「弟はどうしたの?」優しい兄は、岩がごつごつして眠れないという弟と場所を変わってやっていたのだが、継母はそれを知らずに自分の実子を池に突き落としたのだった。間違って我が子を殺したことに気づいた継母は、自分も通り池に飛び込んで命を絶ったという。
これは、海側の池にまつわる話で、現在でも池のそばには「ママ子台」と呼ばれる岩場が残っている。
住所 沖縄県宮古島市伊良部
浜比嘉島
浜比嘉島(はまひがじま)は沖縄本島中部の勝連(かつれん)半島から橋を渡り車で行ける離島です。琉球を創った神様「アマミキヨ」と「シネリキヨ」その2人が“住んだ場所”とされているのが、ここ「シルミチュー」です。
アマミチューの墓
五穀豊穣や無病息災・子孫繁栄を願って島の人たちが祈りを捧げる、シルミチューと同じくとても神聖な場所。
住所 沖縄県うるま市勝連比嘉202
古宇利島
古宇利島(こうりじま)は、沖縄本島北部にある屋我地島の北に位置し、今帰仁村に帰属する有人島。「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があることから、恋島(くいじま)とも呼ばれる。
伝説では、昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていた。最初はそれに疑問を抱かなかったが、ある日、餅が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、毎日少しずつ食べ残すようになった。ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった。二人は天の月に向かい声を嗄らして歌ったが餅が二度と降ってくることはなかった。二人は生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識し恥部を蒲の葉で隠すようになった。この二人の子孫が増え琉球人の祖となった、と云う神話である。
島の北側にあるティーヌ浜は、透明度が高く、浜には熱帯魚も生息している。ここにあるハート岩(ハートロック)がパワースポットと言われている。恋愛成就や子宝祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県国頭郡今帰仁村
命御庭
命御庭(ぬちうなー)は、沖縄県うるま市与那城宮城にある宮城島の自然園「ぬちまーす」工場。交通安全・商売繫盛・出世開運・
周辺には青い太平洋と白いビーチを見渡せる「果報バンタ」(かふうバンタ、バンタとは沖縄方言で「崖」)、「龍神風道」(りゅうじんふうどう)、ガジュマルとソテツに囲まれた小さな鍾乳洞「はなり嶽」(はなりだき)などのパワースポットが点在する。
住所 沖縄県うるま市与那城宮城
宮古島の石庭
石庭は沖縄県宮古島にある新城定吉氏個人所有の庭で、新城定吉氏が夢の啓示を受けて、1人で庭を掘り出し、出てきた石を並べて作った。
エハン・デラヴィ他多くのスピリチュアル研究家に評価されているパワースポット。家内安全や子宝成就、良縁祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県宮古島市平良下里2309
浜比嘉島
浜比嘉島(はまひがじま)は沖縄県うるま市に属する島である。面積2.09km²、周囲7km、最高地点はスガイ山の79m。沖縄本島の勝連半島の東4kmに位置する。
浜比嘉島は、琉球神話の祖神であるアマミキヨ(アマミキョ、アマミチュー)とシルミキヨ(シネリキョ、シルミチュー)が降り立って、琉球の国づくりを始めた場所。
港の隣にあるアマンジという小さな島の中にアマミキヨの墓が祀られている。大きな岩に包まれるような墓。シルミキヨのお墓は小高い丘にある。
十二支廻り国番大東(うふあがり)廻りの拝所「祖氏御嶽」もある。また、浜比嘉島のムルク浜は、願い事が叶う場所と言われる。
住所 沖縄県うるま市
石垣島
石垣島(いしがきじま)は、沖縄県石垣市に属する島である。沖縄県内では沖縄本島、西表島に次いで3番目に広い島である。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
宮良川河口のマングローブは、国内最大の面積をもつ。西部の名蔵アンパルは2005年にラムサール条約に基づいて保護すべき貴重な湿地に登録された。
海岸では珊瑚礁の発達がよく、特に南西側は西表にまで広がる、いわゆる石西礁湖に面する。東南側の白保のさんご礁は開発がらみで有名になっているが、北部の川平湾も、流れが急で多様なサンゴがみられることで有名である。
住所 沖縄県石垣市
八重山列島
八重山列島(やえやまれっとう)または八重山諸島(やえやましょとう)は、南西諸島西部の島嶼群で、先島諸島の一部を成す。「
石垣島、竹富島、小浜島、黒島、新城島(上地島、下地島)、西表島、由布島、鳩間島、波照間島の石西礁湖周辺の島々と、これらから西に離れた与那国島の合計10の有人島、及び、周辺の無人島からなる島嶼群である。
住所 沖縄県八重山郡
備瀬のワルミ
備瀬のワルミ(ワリーバンタ)は沖縄県国頭郡本部町にある巨岩、崖。バンタとは崖のこと。
干潮時でないと海岸から入ることができず、分かりにくい場所にある。神が降り立ったとされる聖域。
住所 沖縄県国頭郡本部町備瀬2278
波上宮
波上宮(なみのうえぐう)は沖縄県那覇市にある神社。那覇港を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」として親しまれてきた。琉球八社の一つで、全国一の宮会より琉球国新一の宮に認定されている。家内安全、厄除、商売繁盛、合格祈願、海上安全、幸運長寿などのご利益があるとされています。
住所 沖縄県那覇市若狭1-25-11
今帰仁城跡
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は、別名に北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))と呼ばれ、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。県内最大級の城(グスク)として名高い。
城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となった。
2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。良縁・家庭円満・健康のご利益があるとされています。
住所 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊
竹富島
竹富島(たけとみじま)は、沖縄県の八重山諸島にある島。沖縄県八重山郡竹富町に属している。八重山の中心地である石垣島からは、高速船で約10分程(約6km)の距離にある。
島の中央部にある集落全体が、木造赤瓦の民家と白砂を敷詰めた道という沖縄古来の姿を保っている。なお、「竹富」は近代になってからの当て字で、明治半ばまでは「武富」と表記されることが多く、かつてはタキドゥンと呼ばれていた。現在も住民には「テードゥン」と呼ばれることが多い。
赤瓦屋根の家並と並んでこの島の特徴となっているのが、一年を通して数多くの祭礼が継承され、実施されていることである。プイ(豊年祭)や結願(キツガン)祭、節祭(シチ)といった、八重山の各地で行われている祭に加え、世迎え(ユーンカイ)、十五夜祭(ジングヤ)など竹富独特のものも少なくない。それらの中でも、特に盛大に行われているのは、陰暦の9、10月中の甲申(きのえさる)の日から10日間に渡って行われる種子取祭(タナドゥイ)である。この期間は数々の神事が行われ、また祭の7、8日目には多くの奉納芸能も行われる。期間中は多数の観光客も訪れて島は活況を見せる。
かつては織物が盛んで、芭蕉布の原料となる芭蕉の木があちこちにみられる。現在でも竹富民芸館を中心として、ミンサーやぐんぼうなどが織られている。
また多くの御嶽(うたき)が存在し、信仰の対象となっている。特に竹富島の始祖と言われる6人の酋長を祀った御獄は六山(ムーヤマ)と呼ばれ、各種の神事の行われる最も重要な拝所とされている。
住所 沖縄県八重山郡竹富町
首里金城の大アカギ
首里金城の大アカギは、沖縄県那覇市の首里の内金城嶽境内にある6本のアカギの大木。東西約50m、南北15mの地域に大赤木6本、琉球榎1本計7本の巨木が繁茂している。一番大きいアカギは、樹齢約200年と推定されている。1972年の日本復帰と同時に国の天然記念物に指定された。
かつては首里城内や城外周辺にも大木が生育していたが、第二次大戦でほとんど焼失した。大木群が市街地内に見られるのは県内でもここしかない。鬼餅(ムーチー)由来の聖地と言われている。満願成就にご利益があるとされています。
住所 沖縄県那覇市首里金城町3丁目
伊江島
伊江島は沖縄本島北部、本部半島の北西9kmの島。北東には伊是名島・伊平屋島が、南西側には遠く慶良間列島を望む。東西8.4km、南北3km。
南海岸の暖やかな砂浜と対照的に、北海岸は高さ約60mの断崖絶壁が連なる。島の中央やや東よりに標高172mの城山(ぐすくやま、通称:イージマ・タッチュー)がそびえる。その山麓から広がる暖やかな農地では葉タバコ、菊などの花卉栽培が行われ、また伊江島牛などの畜産も営まれている。
この城山と、「子宝石」がとりわけパワースポットとして注目される。子宝を授かれるというニャティヤ洞(千人洞)も有名。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県国頭郡伊江村
波照間島
波照間島(はてるまじま)は、沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島。
八重山方言では「我らの島」を意味する「ベスマ」と呼ばれ、現地でもこの呼び方を使うことがある。波照間という表記は当て字であり、「果てのうるま」(「うるま」は、琉球、または珊瑚礁の意味)に由来するという説が一般的である。
住所 沖縄県八重山郡竹富町
沖縄美ら海水族館
沖縄美ら海水族館(おきなわちゅらうみすいぞくかん)は、沖縄本島北西部の本部半島備瀬崎近くにある国営沖縄記念公園・海洋博覧会地区(海洋博公園)内の水族館。「チュらうみ」とは沖縄弁で「清[きよ]ら(しい)海」という意味。
大水槽を泳ぐジンベエザメやイルカショーが人気で、沖縄県の著名な観光地となっている。2005年(平成17年)にアメリカのジョージア水族館が開館されるまでは世界最大の水族館であった。
テレビ番組で西日本のパワースポット人気第一位となり、注目を集めた。
住所 沖縄県国頭郡本部町字石川424
備瀬のフクギ並木
備瀬のフクギ並木は、沖縄県国頭郡本部町にあるフクギ並木。
250年以上前に屋敷の防風林として植えられたのが起源とされ、村落内230戸あまりの住宅のほとんどは繁茂したフクギに囲まれている。フクギは沖縄では古くから防風林として用いられていた。
住所 沖縄県国頭郡本部町備瀬499
アマミチューの墓
アマミチューの墓は沖縄県うるま市の浜比嘉島にある霊場。アマミチュー(アマミキヨ)はシルミチュー(シネリキヨ)と共に琉球開闢の神。子孫繁栄のご利益があるとされています。
浜比嘉島東の海岸にあるアマンジと呼ばれる岩屋の小島に位置する。洞穴を囲い込んだ墓となっている。毎年、年頭拝みには部落のノロ(祝女)が中心となって島の人々が参加し五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願している。
住所 沖縄県うるま市勝連比嘉105
宮城島
宮城島(みやぎじま)は沖縄県うるま市に属する島である。平安座島と伊計島の間に位置する。かつては「みやぐすく」「高離(たかはなり)」とも呼ばれていた。
沖縄本島とは船を使わず、海中道路などを介しての往来が可能である。龍神のエネルギーが通ると言われるパワースポットの岩がある。
住所 沖縄県うるま市
沖宮
沖宮(おきのぐう)は沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つであるが、近代社格制度では社格を与えられていない(無格社)。奥武山公園の東部に位置する。交通安全・商売繫盛・出世開運・合格・学業成就・恋愛成就・縁結びなどご利益があるとされています。
創建の由緒は不詳だが、源為朝の時代と史料にある。正徳3年(1713年)の『琉球国由来記』には、「大昔、那覇港の海中から光が絶えず射していたので、調べてみると霊木であった。これを熊野権現の霊木とし、社寺を建てこの木を祀った」とある。
最初は那覇埠頭の地(現・那覇市西3丁目)にあったが、明治41年(1908年)、那覇港埠頭築港に伴い那覇市安里の安里八幡宮の隣地に遷座し、寺は那覇市住吉町に移転した。その時の社殿は琉球における神社建築の典型例として、昭和13年(1938年)国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失した。戦後、比嘉真忠に「沖宮を復興せよ」と神託があり、沖宮霊木の根元は奥武山の天燈山と神示があった。昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、同50年、現位置である奥武山公園内へ遷座された。
住所 沖縄県那覇市奥武山町
瀬長島
瀬長島(せながじま)は、沖縄県豊見城市に属する無人島である。
瀬長島は豊見城の発祥の地とされる。琉球神話では、豊見城で初めて瀬長に集落が形成され、主に住民は漁業に従事していたという。しかし、耕作に適さない土地であった為に琉球神・大神加那志が沖縄本島に渡り、そこに移住し村づくりを開始した。また島の人口が増加すると、住民も本島に移り次々と新しく集落を増やしたという。現在でも拝所等の貴重な文化財が残存し、周辺住民から神の島と崇められている。
かつて「イシイリー(子宝岩)」と呼ばれる上部に上下2つの穴がある岩があり、子宝に恵まれない人達が願掛けをしていた。この岩のを目がけて石を投げ、上の穴に入れば男子、下の穴に入れば女子が授かると言われていたという。戦後、米軍によりが破壊されてしまい、現在は石碑だけが残っている。
住所 沖縄県豊見城市瀬長
勝連城
勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあるグスク(城)である。勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置し、南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。安全祈願にご利益があるとされています。
13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている。
住所 沖縄県うるま市勝連南風原1710
万座毛
万座毛(まんざもう)は、沖縄県国頭郡恩納村にある景勝地。海岸の絶壁に、象の鼻の形の岩が付いているのが特徴。東シナ海に面し、沖縄海岸国定公園に属する。大漁祈願や海の安全のご利益があるとされています。
琉球王朝の時の王である尚敬王が、「万毛(毛は原っぱのこと)」(言い換えると「一万人が座れる広い原っぱ」)と評したことに由来していると言われている。
岩の上面のシバ草原は主としてコウライシバから構成され、これにナハエボシグサ、シオカゼテンツキなどが混じる。周辺にはモンパノキやクサトベラなどの海岸性の低木が群落を作っている。
沖縄の隆起珊瑚礁には天然のシバ草原が稀ではないが、ここはその最大規模のものである。多くの海岸性植物が見られるが、この地域の海岸崖地には、イソノギクをはじめ、沖縄島でもここだけに見られる特殊な植物がいくつか生育することが知られており、万座毛石灰岩植物群落として沖縄県指定天然記念物に指定されている。
住所 沖縄県国頭郡恩納村恩納
安須森御嶽
安須森御嶽(あすもりうたき)、別名・辺戸御嶽(へどうたき)は沖縄県国頭郡国頭村にある御嶽。琉球開闢七御嶽の一つである。
山の上の御嶽から、辺戸岬を一望出来る。子孫繁栄や無病息災などのご利益があるとされています。
住所 沖縄県国頭郡国頭村辺戸
普天満宮
普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間にある神社。宜野湾市で唯一の神社でもある。 縁結びや子宝祈願のご利益があるとされています。
結び(諸願成就、生成)の神様として信仰される琉球八社の一つ。正式社名は普天満宮、別称は普天満権現。地元では、普天間神宮と呼ばれ親しまれている。
境内奥の洞穴の内部に奥宮が祀られており、名勝に指定されている。
住所 沖縄県宜野湾市普天間1丁目27-10
ヤハラヅカサ
ヤハラヅカサは、沖縄県南城市の百名ビーチ(百名の浜)にある拝所。琉球祖先神・アマミキヨがニライカナイから渡来し、久高島に降り立った後、本島へ渡った最初の地と言われている。
ヤハラヅカサは琉球石灰岩でつくられた石碑で、石碑の下の部分には香炉が設けられている。満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現す。
アマミキヨはここヤハラヅカサから浜川御嶽を経てミントングスク、玉城グスク、知念グスクへと歩みを進めていったと伝えられている。
住所 沖縄県南城市玉城百名
内金城嶽
内金城嶽(うちかなぐすくたき)は、沖縄県首里金城町の石畳道脇にある御嶽(うたき)。御嶽(うたき)は、守護神が祀られる場所や聖地を意味し、旧内金城村の拝殿(ふぇーでいん)の役割を担ったという内金城嶽は、12世紀頃に造られたという古い御嶽だ。石囲いの中には神聖とされる大木(アカギ)が茂り、その下に3個の石が立てられている。ガジュマルやクワズイモなどの植物がうっそうと生い茂る森の中に、樹齢200年から300年の大アカギ6本が立ち、東側に大嶽、西側に小嶽がある。「首里金城の大アカギ」とも呼ばれる巨木は、国の天然記念物にも指定されている。沖縄の行事「鬼餅(うにむーちー)」の由来となった鬼餅伝説が残されている。
住所 沖縄県那覇市首里金城町
漲水御嶽
漲水御嶽(はりみずうたき、ぴゃるみずうたき)は、沖縄県宮古島市平良字西里にある御嶽。宮古島市平良(ひらら)地区の中心部にあり、宮古島創世の神話「人蛇婚伝説」が伝わる。
琉球王国建国以前から、信仰を集めている御嶽であり、数多くの神話と伝説の舞台でもある。天帝に命じられた、古意角(コイツノ)という神と姑依玉(コイタマ)という女神が、多くの神々を従え天下った場所だとされ、この創造神らが祀られている。
ガジュマルの大木茂る境内を囲む石垣は1500年頃、仲宗根豊見親(なかそねとぅいみや)が築いたもの。御嶽の前から東の祥雲寺に向かって漲水(はりみず)石畳道の一部が残されている。仲宗根豊見親が八重山のオヤケアカハチとの戦いの戦勝を記念して造られた石畳である。
住所 沖縄県宮古島市平良西里8
果報バンタ
果報バンタ(かふうバンタ)は沖縄県うるま市にある崖、絶景スポット。開運全般、勝負事、受験などにご利益があるとされています。
バンタとは沖縄の方言で「崖」という意味。標高約120mの崖の上からエメラルドグリーンの海を臨める。別名「幸せ岬」とも呼ばれる。ぬちまーす工場の敷地内に位置する。
住所 沖縄県うるま市与那城宮城2768
琉球村
琉球村は、沖縄にある琉球の文化・芸能・自然を、体験できるテーマパーク。沖縄各地に残された民家を移築し、昔ながらの佇まいを再現した民俗村である。
住所 沖縄県国頭郡恩納村字山田1130
東平安名岬
東平安名岬(ひがしへんなざき)は、沖縄県宮古島市城辺字保良に位置し、太平洋及び東シナ海に面する岬。宮古島の南東端で、同島を代表する観光地。東平安名崎とも書く。
主に沖縄方言で東のことを「あがり(太陽が上がる)」と呼ぶことから、「あがりへんなざき」とも読む。また、宮古方言では「あがりぴゃうなざき」と呼ばれている。
隆起サンゴ礁の石灰岩から成る。半島上は平坦だが海岸は断崖で、強風が吹き寄せており、テンノウメやイソマツを中心とした風衝地特有の植物群落が成り立っている。「東平安名崎の隆起珊瑚礁海岸風衝植物群落」として沖縄県指定天然記念物に指定されている。また、5月にはテッポウユリが岬一帯で咲き乱れ、観光名物となっている。
灯台の近くに、妻子ある男との恋に破れこの岬から身を投げたという伝説で知られる絶世の美女マムヤの墓がある。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県宮古島市城辺字保良
浜川御嶽
浜川御嶽は、沖縄県南城市の百名ビーチ北端の崖上に鎮座する御嶽。縁結びや子宝にご利益があるとされています。
浜川御嶽からは百名の浜に降りると、海中50m沖に琉球開闢の神アマミキヨがニライカナイから上陸したといわれる岩礁があり、「ヤハラヅカサ碑」が建っている。この碑は満潮時には水没し干潮時だけ現れるという。
住所 沖縄県南城市玉城百名
ニャティヤ洞
ニャティヤ洞(千人洞)は、沖縄県の伊江島にある洞窟。力石(ビジル石)があり、子宝に恵まれるという言い伝えがある。
大戦中は防空壕として多くの人々の命を守ったことから千人ガマとも呼ばれている。持ち上げると子宝に恵まれるとされています。
住所 沖縄県国頭郡伊江村川平地内
首里森御嶽
首里森御嶽(すいむいうたき)は、沖縄県那覇市の首里城内の広福門(こうふくもん)と奉神門(ほうしんもん)の間に位置する下之御庭(しちゃぬうなー)にあった祈りの場。首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御嶽(うたき)とは沖縄の聖地または拝所を意味する。
首里城にはかつて「十嶽(とたけ)」と呼ばれ、最も神聖といわれる10カ所の拝所があった。首里森御嶽はその中の10番目の拝所でで、男女がともに祈願する、国の最も重要な拝所だった。
首里城の中に首里森御嶽を作ったのではなく、首里森御嶽が先にあり、首里城が後から建てられたと言われている。1997年に復元された。
住所 沖縄県那覇市首里崎山町1丁目
青の洞窟
青の洞窟は、沖縄県宮古島市の伊良部島にある海中洞窟。方言名は「バタルツ」。「ツインホール」とも呼ばれる。
夜行性の琉球ハタンポ、アカマツカサなどを目にすることが出来る。
住所 沖縄県宮古島市伊良部前里添
保良泉鍾乳洞
保良泉鍾乳洞(ぼらがー -)は、沖縄県の宮古島にあるしょうにゅうどう。普段は入口が海中に没していて、潮の干満のタイミングや海況が良い時でないと入れない。
高さ2m程の入口を入ると、直径4mのパンプキン型鍾乳石が控えるホールとなっており、「パンプキンホール」とも呼ばれる。 鍾乳洞はパンプキンの上へと続いており、幻想的な風景が広がっている。
住所 沖縄県宮古島市城辺保良
座喜味城
座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあるグスク(城)である。金運にご利益があるとされています。
1416年-1422年に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)が築城したとされている。城門のアーチに楔石を用いており、アーチ門では古い形態とされる。
沖縄戦前には日本軍の砲台や、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、城壁の復元が行われた。
1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されたが、米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定された。ただし、現状変更のあった部分(西側道路部分)についてはのちに指定を解除している。
首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産に登録されている。
住所 沖縄県中頭郡読谷村座喜味
園比屋武御嶽
園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は沖縄県那覇市にある16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽。
国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した御嶽であり、また聞得大君が就任するときにまず最初に拝礼した、いわば国家の聖地だった。王家尚氏ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を勧請し、祭っている。もともとは今より広範な森であったが、現在では小学校の敷地となっている部分もあり、残されているのはその一部である。
首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。 園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた。オヤケアカハチの乱(1500年)で、王府軍が八重山へ出兵したさいに、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた西塘により創建されたという。
2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された。
住所 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目
嘉手志川
嘉手志川(かでしがー)は、沖縄県糸満市にある湧き水。南山城跡の近くに位置する。嘉手志川は南山繁栄の基礎となった泉だといわれ、現在は水遊びをする子供たちの遊び場所になっている。
住所 沖縄県糸満市大里320
比地大滝
比地大滝(ひじおおたき)は、沖縄本島にある滝。山原(やんばる)の森を流れる比地川のほぼ中間に位置する。落差が25mある本島最大規模の滝。
遊歩道が整備されていて、森に棲むキノボリトカゲや鮮やかな原色の蝶々などを探しながらトレッキングが楽しめる。
住所 沖縄県国頭郡国頭村比地781-1
泡瀬ビジュル
泡瀬ビジュル(泡瀬神社)は沖縄県沖縄市にある神社。例祭は旧暦9月9日(クングァチクニチ)。安産祈願にご利益があるとされています。
子宝の神として知られる。「ビジュル」とは、沖縄で信仰の対象とされる霊石のことで、多くは人形(ひとがた)をした自然石である。泡瀬のビジュル神は陽陰一対の石体で、社殿の扉の奥深く祀られている。
住所 沖縄県沖縄市泡瀬2丁目1
糸数城
糸数城(いとかずぐすく)は、沖縄県南城市知念安座真(旧・玉城村)にあるグスク。
標高180m前後の琉球石灰岩の丘陵上に築城された眺望のよいグスクであり、北東側は台地につながり、グスクの南西側は断崖状となっている。
糸数城は14世紀初め頃、玉城城の玉城按司が西方への守りとして次男を大城按司として大城城に、三男を糸数按司として糸数城に任じ築城させたといわれる。築城時に、糸数城の北北東約100mにある根石(にーいし)グスクを根城としたとして、元グスクとも呼ばれる。糸数按司の臣下で兵頭役だった怪力無双の「比嘉ウチョー」が、増築に必要な用材等を求め国頭地方に行った留守中に、上間按司が急襲したため落城したといわれる。戦争により一部破壊したが、比較的城壁が良く残っており、石垣は、野面積みと切石積み(布積み)を併用している。
住所 沖縄県南城市知念安座真
西平安名岬
西平安名岬(にしへんなざき)は、沖縄県宮古島市平良狩俣に位置し、東シナ海に面する岬である。宮古島の西端にあたる。西平安名崎とも書く。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県宮古島市平良狩俣
ミントングスク
ミントングスクは、沖縄県南城市にある祭祠遺跡。東御廻りの名所として知られる。
伝承によると、ヤハラヅカサに上陸したアマミキヨが、浜川御嶽に仮住まいをした後ここに移ってきたと言われている。また、頂上付近の岩陰や洞穴には神墓といわれる拝所があり、神域となってる。個人所有地となっており、許可無く見学することはできない。
住所 沖縄県南城市玉城仲村渠
仲原鍾乳洞
仲原鍾乳洞(なかばりしょうにゅうどう)は、沖縄県の宮古島にある直径約30メートル、深さ約15メートルの鍾乳洞。実際の洞窟は全長265メートルの横穴式で、巨大つらら石やシーサー石筍,聖母マリアの姿をした鍾乳石などが見られる。
住所 沖縄県宮古島市城辺友利
平久保崎
平久保崎は沖縄県石垣市、石垣島の北端にある岬。黒毛和牛の放牧地の先に平久保崎灯台がある。サンゴ礁に囲まれた絶景を望むことができる。縁結びにご利益があるとされています。
住所 沖縄県石垣市平久保
来間島
来間島(くりまじま、くれまじま)は、沖縄県宮古島市下地字来間に位置し、宮古島の南西1.5km、太平洋に浮かぶ面積2.84km²、周囲9.0km²の小さな島。宮古島下地から全長1,690mにもおよぶ農道橋である来間大橋が架かっており、その橋の景観や橋から見る海の景観は美しさは圧巻である。小さな集落とサトウキビや果実などの畑が広がるのどかな景観が広がる。金運上昇や商売繁盛など、開運のご利益があるとされています。
住所 沖縄県宮古島市下地
伊平屋島
伊平屋島は、沖縄本島北部本部半島から北へ約41kmに位置し、沖縄県最北端の有人島である。北東から南西方向へ延びる島の約6割を標高200m~300mの山地が占める細長い島。
島には「天の岩戸伝説」で知られる県指定の天然記念物「クマヤ洞窟」や、樹齢300余年の琉球松の古木で日本名木100選にも選ばれた「念頭平松」、山一面くばの木が生い茂り、天然記念物に指定されている「久葉山」がある。
第一尚氏王朝をひらいた尚巴志の祖父・佐銘川大主(鮫川大主)の出身地であるとされる。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
住所 沖縄県島尻郡
バリバリ岩
バリバリ岩は、沖縄県の南大東島にある二つに裂けた岩。フィリピン海プレートの移動により裂けたという。恋愛成就にご利益があるとされています。
数m幅の割れ目に沿って奥まで行くことができ、途中に岩をくりぬいて作った階段があり、行き止まりに小さな洞窟がある。
住所 沖縄県島尻郡南大東村北
宮古神社
宮古神社(みやこじんじゃ)は沖縄県宮古島市にある神社。熊野三神、豊見親三神を祀る。開運と金運上昇、商売繁盛などのご利益があるとされています。
天正十八年(1590年)、沖縄本島の波上宮より熊野三神が勧請され、宮古権現堂を建立した。大正14年(1925年)に町社・宮古神社が創建された。昭和15年(1940年)に紀元二千六百年記念事業として、宮古神社を県社に昇格せんとして、宮古権現堂の熊野三神、町社・宮古神社の二柱の神を合祀。境内地を西里5番地(現在の境内地)に移し、同19年(1944年)に新・宮古神社へ遷座が行われた。県社昇格が内定したが、戦災炎上。漲水御嶽に祭神を合祀。昭和31年(1956年)、目黒盛定政を増祀。昭和55年(1980年)、旧境内地(西里1番地)に本殿、拝殿を再興し、遷座祭を斎行。平成22年(2010年)に、西里5番地に新社殿が竣工、遷座祭を斎行した。
住所 沖縄県宮古島市平良西里1-1
知念グスク
知念グスク(知念城)は沖縄県南城市知念にある古城・拝所。沖縄最古の歌謡集・おもろさうしにも謡われた、正門・裏門の石造りのアーチ門が美しいグスク。城内の友利御之嶽(とむいぬたき)が、東御廻りの拝所。恋愛運アップにご利益があるとされています。
知念城の築城年は不明だが、古城(コーグスク)と呼ばれる野面積み石垣の郭と、新城(ミーグスク)と呼ばれる切石積み石垣の郭に分かれていて、両者の築造時期にはかなりの時代差があるとされる。
伝説によると、古城(コーグスク)は天孫氏時代の築城と伝えられているので、12世紀末~13世紀の築城と考えられる。
新城(ミーグスク)は、「内間大親」という者が築城したと伝えられているが、彼は第二尚氏の始祖「尚円」がクーデターによって王になる以前に「内間ノロ」との間にもうけた息子であるという伝説も残っている。尚真王代の15世紀後半の築城と考えられる。
また、王国時代から現在に至るまで「東御廻(アガリウマーイ)」の巡礼地として、多くの人たちがここを訪れて拝んでいる。
住所 沖縄県南城市知念
クマヤ洞窟
クマヤ洞窟は、沖縄県の伊平屋島にある洞窟。クマヤとは籠もるという意味。クマヤ洞窟は「天の岩戸」とも呼ばれ、全国に数ある「天の岩戸」伝説最南端の地ともいわれている。縁結びや子宝にご利益があるとされています。
クマヤ洞窟は、珪岩質(ケイガンシツ)の洞窟で、水や風・砂などの力によって侵食され空洞になったとされている。珪岩質の洞窟は少なく、学術的にも貴重である。
住所 沖縄県島尻郡伊平屋村田名
東の御嶽
東の御嶽(うたき)は、沖縄の浜比嘉(はまひが)島の東にある聖地。浜比嘉島は、琉球の国造り神話にまつわる伝説の島。
旧暦の6月28日と8月28日に海の時化を祈願する「シヌグ祭り」が行なわれることからシヌグ堂と呼ばれる。この祭りは、琉球三山時代、戦に敗れた南山の平良忠臣とその将兵数名が浜に渡って東の御嶽に身を隠し、難をしのいだという故事に由来する。
周辺にはガジュマルの大木が生い茂り、神秘的な雰囲気を醸し出している。豊穣、無病息災、子孫繁栄のご利益があるとされています。
住所 沖縄県うるま市勝連浜
安国寺
安国寺(あんこくじ)は、沖縄県那覇市の臨済宗妙心寺派の寺院。山号は太平山。 厄除け · 開運にご利益があるとされています。
景泰年間(1450~57)に尚泰久王(位1454~60)が建立した禅寺で、開山は熙山周雍(生没年不明)。もとは那覇市首里久場川町に位置していたが、康熙13年(1674)に現在地に移転。沖縄戦で焼失し、住職も戦死したが、戦後復興して現在に至る。
住所 沖縄県那覇市首里寒川町1丁目2
野原岳の霊石
野原岳の霊石(のぼるだけのたまいし)は、沖縄県の宮古島、野原岳の南側中腹にある霊石。元もとは頂上近くの北西側斜面におかれていた。琉球石灰岩でつくられており、直径が110cm、高さが135cmの円柱形である。
およそ600年ほど前、野原岳一帯を支配していた大嶽按司が、守護神としてこの霊石をつくり野原岳の頂上付近にたてたと伝承されている。
地元では、この霊石をタマザラ御嶽と呼んで、今でも信仰の対象にしている。
住所 沖縄県宮古島市上野野原
備瀬崎
備瀬崎(びせざき)は沖縄県国頭郡本部町にあるビーチ。珊瑚礁に囲まれた美しい海がある。海岸駐車場に拝所がある。
地元の人々、セジ(霊力)が高い人たちから好まれている地域だという。
向かいの島は「みぃ島」と呼ばれ、神の島だという。引き潮になると渡ることもできるが、地元のユタや神人でもむやみに立ち入らない場所であり、安易に立ち入ることは諌められている。
住所 沖縄県国頭郡本部町備瀬
八角堂
八角堂は沖縄県南城市のお堂。ヨガクラスなどが催されている。夫婦円満やカップル円満にご利益があるとされています。
住所 沖縄県南城市玉城玉城37-2
マリユドゥの滝
マリユドゥの滝(マリユドゥのたき)は、西表島の浦内川にある滝。マリュドゥの滝、マリュドウの滝、マリユドウの滝、はてはマリュウドの滝、マリュードの滝などの表記も見られる。マリ(mari)は「丸い」、ユドゥ(yudu)は「淀」のことで、円形の滝壺をもつことからこう呼ばれている。
落差はそれほど大きくないが2段に分かれていて、水量も豊富で日本の滝100選に選ばれている。西表島の他の滝と同様、崖は砂岩層である。上流250mほどの所にカンピレーの滝がある。周辺の岸壁には特有の植物が多い。
住所 沖縄県八重山郡竹富町高那
金城大樋川
金城大樋川(かなぐすく うふふぃーじゃー)沖縄県那覇市首里金城町にある湧き水。
樋川(ふぃじゃー)とは、沖縄の伝統的な共同井戸のうち、岩盤の奥の水脈から湧き出した水をそのまま石垣で囲んだ井戸に導き、利用したもの。石畳道はかつて首里城へと通じる主要道路であった真珠道(まだまみち)の一部。
石畳中腹に樹齢300年に大アカギがあり、パワースポットと言われている。
住所 沖縄県那覇市首里金城町
伊原間サビチ洞
伊原間サビチ洞は沖縄県石垣市の石垣島にある鍾乳洞。日本で唯一海に抜ける鍾乳洞で、3億7000年前に海底隆起で生まれたものと言われている。
洞入口に池があり、大うなぎが生息していて、幸運を呼ぶ大ウナギと呼ばれている。
住所 沖縄県石垣市石垣島伊原間185-44
新城島
新城島(あらぐすくじま)は、沖縄県八重山郡竹富町にある島で、上地島(かみぢじま)及び下地島(しもぢじま、沖縄県宮古島市に属する下地島とは異なる)の2つ島の総称である。八重山諸島に属している。離れた2つの島からなることから、現地の方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる。全島が西表石垣国立公園に含まれる。
先島諸島火番盛など、古琉球から近世にかけての遺跡が多数ある。
東御嶽(あーりいうたき)は、人魚神社とも呼ばれ、ジュゴンを祀る。かつてはジュゴンの肉を食用としていた。鳥居の横に「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」と書かれている。上地島にある。同じく上地島には、西御嶽(いーりいうたき)がある。
樹齢500年以上のガジュマルの木もパワースポットと言われる。
住所 沖縄県八重山郡竹富町
万古山御嶽
万古山御嶽(万古山神社)は、沖縄県宮古島市(宮古島)にある神社、御嶽。御祭神は天照大神、竜宮大神。
万古山は「ニヌパザー」と読まれる。近世になってから与那覇メガさんと言う老婆が天啓を受けて開かれた。
天照大神生誕の地とされる洞穴を拝する御嶽で、この洞穴は神聖化し立ち入りは絶対許されない。たとえ立ち入ることができてもその場合には七日間、塩で体を清めてからでないと、はいれないという伝えがある。また三月に豊漁と航海安全を祈願して竜宮の神をまつるお嶽ごもりがあって天照大神への感謝祭がある。
住所 沖縄県宮古島市平良荷川取
中城城
中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。
当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。 石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。
住所 沖縄県中頭郡中城村泊
大主神社
大主神社(大主御嶽、ウハルズうたき)は、沖縄県宮古島市の池間島にある神社、御嶽。御祭神は十二方位神。読み方には「ウパルズ」「ウハルズ」「オハルズ」等がある。
その昔、ある女性が卵を産んだ。その数は十二。人間でありながら卵を産んでしまったことを恥じ、女性は卵をカヤで隠した。しかしそれから数日後、卵を隠した場所へ行ってみると、黒い乱れ髪の子ども達が『お母さん』と言いながら迎えた。女性が、どうしたらよいかわからず、オロオロしていると、天から神様が降りてこられ『心配しなくても良い。この子たちは、あなたと私の子なのだ。この子たちも、そしてこの子たちを生んだあなたも神となるのだよ』と言った。こうして十二人の子どもたちは、十二方位の守護神となった。
一番目の子どもが祀られているのが、池間島の大主御嶽で、伊良部島へ移り住んだ人々が分祠として祀ったのが、伊良部島の大主御嶽だという。部落の許可無く立ち入ることは固く禁じられている。
住所 沖縄県宮古島市平良池間
出雲大社沖縄分社
出雲大社沖縄分社は、沖縄県那覇市にある出雲大社の分社。縁結びのご利益があるとされています。
すぐ近くの興南高校の野球部が2010年に甲子園春夏連覇を果たしたことから、これにあやかろうと参拝に訪れる人が多い。
住所 沖縄県那覇市古島1丁目16-13
喜佐真御嶽
喜佐真御嶽(きさまうたき)は、沖縄県宮古島市にある拝所。
『宮古島御嶽由来記』や『琉球国由来記』にも記録がある。祭神を真種子若按司(あじ:領主的豪族)といい、浦島の神とされている。拝所は石垣で囲まれ、庭と石段と篭もり家がある。
拝所内の樹木の伐採、および男性の出入りは、旧暦6月のヤマアキ(山明け)以外は禁じられている。川満の神役による旧暦2月と10月の「世乞い」、旧暦2月と11月の「籠り御願」などの祭祀がある。沖縄県の有形民俗文化財に指定されてる。
住所 沖縄県宮古島市下地
唐人墓
唐人墓(とうじんばか)は、沖縄県石垣市の観音崎にある墓地。咸豊2年(1852年)のロバート・バウン号事件で犠牲になった中国人苦力の慰霊のため、1971年(昭和46年)に建立された。
近くにあるガジュマルの木は、3つの根をくぐると願い事が叶うと言われている。
住所 沖縄県石垣市新川1625-9
ツヌジ御嶽
ツヌジ御嶽(下地神社)は、沖縄県宮古島市の御嶽。大世の主をまつる赤崎御嶽の遙拝所である。
昔、赤崎御嶽の祭日に出かけたが途中大雨にあい、途方に暮れて大岩のかげに雨宿りし晴れるのを待った。雨はなかなかやまず赤崎御嶽まで行けないので、一計を案じ大岩にプーイ物を供え、その事情を大世の主に報告して帰路についた。それ以来、雨宿りした岩を赤崎御嶽の神体として拝むようになった。今では、赤崎御嶽にお参りするのは、司や神女たちとなり、一般の人々はツヌジ御嶽から拝むようになっている。市指定有形民俗文化財。
住所 沖縄県宮古島市下地洲鎌
友利のあま井
友利のあま井は沖縄県宮古島市城辺(ぐすくべ)の友利元島遺跡に隣接する自然洞窟の井泉。
井泉の降り口から湧き口までの深さが約20cmあり、水量も豊富である。1965年に上水道が普及する以前はこの井泉が貴重な水資源だった。沖縄県の有形民俗文化財に指定されている。
住所 沖縄県宮古島市城辺字砂川1137
於茂登御主神
於茂登御主神(おもとみなぬしのかみ)は沖縄県石垣市のパワースポット。
古くから霊山とされる於茂登岳(おもとだけ)の名蔵ダム近くに位置する。山名の「ウムトゥ」は「島の大本」を意味するという。
於茂登の神は「ウムトゥテラシィ」で、島内の多くの御嶽でこの神への通し願いが行われてるという。
住所 沖縄県石垣市登野城
東急リゾートホテルのプライベートビーチ
沖縄県宮古島市下地与那覇にある東急リゾートホテルのプライベートビーチ。
住所 沖縄県宮古島市下地与那覇914
黒島
黒島(くろしま)は、沖縄県の八重山諸島にある島である。沖縄県八重山郡竹富町に属する。無病息災や子宝祈願にご利益があるとされています。
石垣島から南南西17kmに位置する。「牛の島」として知られる。島の形がハート型をなしていることから、ハートアイランドとも呼ばれる。
島の至るところに肉牛用の牧場が広がっている。島の周辺海域に広がる石西礁湖は、日本国内最大のサンゴ礁海域である。空気の澄んだ離島であることや、日本の南端に位置することから、本州などでは観測できない多くの天体を観測することができる。
住所 沖縄県八重山郡竹富町
与那覇前浜ビーチ
与那覇前浜ビーチは沖縄県宮古島市にある砂浜。延々と7kmも続く真っ白い砂浜は東洋一と言われる。
住所 沖縄県宮古島市下地与那覇
ヤマトブー大岩
ヤマトブー大岩(ヤマトゥブーギス)は、沖縄県伊良部島にある巨岩。
高さ25m、直径18m、重量3万トン余り、最初に伊良部に人が住み着いた下牧(積上・ツミャギ)の海岸へ出入り口の目印であったと言われる。
住所 沖縄県宮古島市伊良部池間添
カナマラアブ
カナマラアブは沖縄県宮古島市の伊良部島にある長山洞窟群の一つ。カナマラは「頭」を意味する。
深さ55mの洞窟で、底から2万5千年前の人骨が見つかっている。
住所 沖縄県宮古島市伊良部池間添1229
玉取崎展望台
玉取崎は石垣島の東側にある岬。
昔から知られた景勝地で、左に伊原間湾、正面にはんな岳、右に珊瑚礁群が臨める。駐車場から展望台までは花に覆われた遊歩道になっている。
住所 沖縄県石垣市伊原間
受水走水
受水走水(うきんじゅ・はいんじゅ)は、沖縄県南城市にある湧き水。
西側の受水(うきんじゅ)の傍らには御穂田(みーふだ)と呼ばれる田が、速やかに流れる東側の走水(はいんじゅ)の前方には親田(うぇーだ)と呼ばれる田があり、これらが琉球における稲作発祥伝説の舞台となっている。玉城仲村渠(なかんだかり)区に継承されている田植えの儀式・親田御願(うぇーだぬうがん)は、稲の始まりを神に感謝する行事。受水・走水に隣接する親田で田植えをし、近くの御祝毛(うゆえーもー)と呼ばれる広場で神事を執り行い、参加者全員でご馳走をいただくという。
市の無形民俗文化財にも指定され、旧暦で毎年その年の初午の日に催されている。
住所 沖縄県南城市玉城百名
幸せの架け橋
幸せの架け橋は沖縄県南城市のがんじゅう駅・南城の裏庭にある小さな橋。橋の上で両手を広げると世界遺産と神の島の中心になれるパワースポット。
住所 沖縄県南城市知念久手堅
大和井
大和井(やまとがぁ、やまとがー)は、沖縄県宮古島市平良にある井戸。石造遺跡。
ガーと呼ばれる湧き水の湧き出す箇所の一つで、住民の貴重な生活用水として利用されてきた。すくそばにあるぶとら井(ぶとらがぁ、ぷとぅらがー)とともに「大和井」という名称で1992年(平成4年)12月18日 に国の史跡に指定された。
大和井は、石段を降りた下にある降り井(うりがぁ)で、周囲約20メートル、高さ約6メートルの円形の石積みの穴の底に石敷きの広場を設け、その奥部が取水口とされている。広場までは、折れ曲がった石段が続いており、その途中には門扉が設けられたと思われる閂の跡がある。1720年に掘られたものと考えられている。
伝承によると、この井戸は、首里王府や薩摩藩から派遣された役人専用の井戸であったともいわれている。見事な石細工や、厳重な管理の様子をうかがわせる閂の跡が残る。
ぶとら井は、大和井から50メートルほど北西に位置する井戸で、より簡素な造りを持ち、一般の住民用として用いられていたものと考えられている。
住所 沖縄県宮古島市平良西仲宗根
畳石
畳石は沖縄県島尻郡久米島町の奥武島(おうじま)にある奇岩。
奥武島の南海岸に干潮時に現れるもので、巨大な亀の甲羅のような安山岩が1000個以上も敷き詰められている。溶岩が冷える過程で5角形や6角形を形つくったものである。沖縄県指定天然記念物、2007年日本の地質百選選定。
住所 沖縄県島尻郡久米島町奥武
名護中央公園
名護中央公園は沖縄県名護市の名護岳(標高345m)に位置する、名護市民の憩いの場所。
14世紀に今帰仁城主の弟にあたる名護按司が居城としていたところで、現在は城壁なども残っていないが、周辺は公園として整備されている。長い石段を登ってたどり着く展望台からは、名護湾や市街を一望できる。
また、花見の名所としても有名で、1月の下旬にはカンヒザクラが咲き誇り、さくら祭りが盛大に催される。
住所 沖縄県名護市字名護5511
伊祖城
伊祖城(いそぐすく)は、沖縄県浦添市にあった城。琉球石灰岩の丘陵上に、13世紀ごろ築かれたといわれる英祖王統代々の居城。
英祖王(1260-99)はこの城で生まれたが、以降、5代90年間にわたってこの地を領した。
城内外からはグスク系土器や須恵器(すえき)、中国陶器(とうき)等が採取されている。
住所 沖縄県浦添市伊祖3丁目58
ビジュルメー
ビジュルメー(ハマンシヌ御嶽)は、沖縄県国頭郡今帰仁村の古宇利島にある御嶽。「クァーナス」「クァーナシガマ」とも呼ばれ、「子を成す」(子宝に恵まれる)という意味をもつ。
子宝に恵まれず、本当に子供を授かりたいと願う方が訪れる場所で、男子禁制となっている。観光地ではないため、マナーを心得、本当に必要な方だけが訪れるべき場所。
住所 沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利
白銀堂
白銀堂(白銀堂神社、白銀神社)は沖縄県糸満市にある神社、御願所(ウガンジュ)。「シロガネの御イベ」という航海安全と豊漁を司る海神が祀られている。別名「よりあげ御嶽」とも呼ばれる聖地である。豊漁と航海の安全にご利益があるとされています。
旧正月には、1年の航海安全と豊漁を祈願する人々で賑わい、旧暦5月4日には「ハーレーの祭祀」が、根人(ニーチュ)と呼ばれる神官により執り行われる。
石鳥居とシーサーの向こうに元々拝所であった岩を取り込む形で社殿が造営され、銀貨が埋められているという伝承が残る洞窟がある。境内奥ではイビ岩(神岩)が、斎場御嶽の三庫裏と同様の半三角形の洞門を形成し、イビ岩下には拝所も多数点在する。また、境内には大きな隆起サンゴがあり、約200万年前までは海だったことを物語っているという。
白銀堂には、社名の由来ともなっている「イジヌイジラー ティヒキ ティヌイジラー イジヒキ(意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け)」という有名な教訓・地名説話が伝えられている。
昔糸満村に働き者の漁師がいたが、漁の途中で遭難して船と漁具を失い困り果てていた。見かねた薩摩の武士がお金を貸したが、不漁が続いて約束の期限に借金を返す事ができない漁師は白銀堂の洞窟に隠れた。ところが見つかり、怒った武士に刀で切られようとしたとき、漁師は「意地ぬ出じらぁ、手引け。手ぬ出じらぁ、意地引け。」と言う沖縄の諺を言って許しを請うた。武士はその言葉で気持ちを静め、任期が終わり薩摩に帰ったが、玄関に自分のものではない男ものの履物があった。武士が部屋に入ると、妻が見知らぬ男と寝ているので、怒りの気持ちを抑えきれず刀を振り上げましたが、漁師に聞いた諺を思い出し、よくよく見てみると妻の横に寝ていたのは、男物の着物を着た母親だった。母親は、女だけだと心配なので男姿をして寝ていたとのことで、武士は妻と母を殺さないですんだという。
翌年琉球へ戻った武士は、漁師の所に行くと、今度は豊漁に恵まれた漁師は待ち構えていたようにお礼とともに借りたお金を差し出した。しかし、武士はことの次第を話して漁師にお金はいらないと言って聞かず、漁師は漁師でどうしても返したいの一点張り。結局はそのお金を洞窟に埋め、そこにお堂を建てて海上の平安と村の繁栄を祈ることにした。
住所 沖縄県糸満市糸満
沖縄菩提樹苑
沖縄菩提樹苑は、沖縄県糸満市米須の慰霊苑。
第二次世界大戦でなくなったすべての戦没者の慰霊のため、釈迦がその下で悟りを開いたといわれている「ブッダゆかりの聖なる菩提樹」の分け樹が贈呈され、2004年に植樹された。
住所 沖縄県糸満市米須
藪地洞穴
藪地洞穴遺跡(やぶちどうけついせき)、別名ジャネー洞は、沖縄県うるま市にある鍾乳洞。
ジャネーガマなど呼ばれ、先祖発祥の遺跡として知られる。約6000年から7000年前の土器片が発見されている。
住所 沖縄県うるま市与那城屋慶名
国頭方西海道
国頭方西海道は、沖縄県国頭郡恩納村に点在する琉球王朝時代に造られた道。約400年前のもの。
当時の主要道路で、首里を起点とし浦添、読谷村喜名を通り名護以北に向かう沖縄本島西側の道である。現在も道の周辺に「仲泊遺跡」、「山田城跡」、「護佐丸の父祖の墓」や「フェーレー岩」他多くの遺跡が残る。
住所 沖縄県国頭郡恩納村
垣花桶川
垣花桶川(かきのはなひーじゃー、通称シチャンカー)は沖縄県南城市にある湧き水。環境省が選定した日本最南端の名水百選。恋愛成就にご利益があるとされています。
住所 沖縄県南城市玉城垣花
星砂の浜
星砂の浜は沖縄県八重山郡竹富町の西表島にある海岸。ビーチに星の形をした砂があることから星砂の浜と呼ばれている。
海に一歩入ればすぐそこにきれいな魚を見ることができ、海底には大きな岩が多く、岩の割れ目や陰に隠れて小さな魚たちが生息している。
住所 沖縄県八重山郡竹富町上原
西来院
縄県那覇市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は達磨山。別名・達磨寺。
住所 沖縄県那覇市首里赤田町1丁目5-1
バラス島
バラス島は沖縄県八重山郡竹富町の西表島と鳩間島の間にある無人島。
サンゴの殻が海流の影響で堆積してできた島で、地図上には存在しない。サンゴの殻のみでできているので島は真っ白で、周辺の海の青色とのコントラストが美しい。
住所 沖縄県八重山郡竹富町鳩間
乗瀬御嶽
乗瀬御嶽(ヌーシうたき)は沖縄県宮古島市、伊良部島にある御嶽。
伊良部島の南東端、渡口の浜への入口近くに位置し、遠見村の首長だった大金主(うぷがにしゅう)の娘「玉メガ」を祀っている。
16世紀頃できた御嶽ではないかと推測でき、現在も航海の守護神としてあがめられている。乗瀬御嶽のかたわらには、玉メガの父「オプガニのトュミャ」の拝所もある。
住所 沖縄県宮古島市伊良部伊良部1391
JAXA沖縄宇宙通信所
JAXA沖縄宇宙通信所は、沖縄県国頭郡恩納村にある通信施設。人工衛星の追跡と管制が行われている。
1968(昭和43)年2月、旧科学技術庁宇宙開発推進本部の「沖縄電波追跡所」として発足、1969(昭和44)年10月、旧宇宙開発事業団の発足とともにその一施設となり、2003(平成15)年10月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設となった。
巨大なパラボラアンテナがそびえ、施設周辺は良い気が流れるパワースポットとも言われている。
住所 沖縄県国頭郡恩納村安富祖1712
藪薩御嶽
藪薩御嶽(やぶさつうたき)沖縄県南城市にある御嶽。
琉球開闢七御嶽の五つ目。『琉球国由来記』には「ヤブサツノ嶽(神名:タマガイコマガイノ御イベ、ムメギヨラタチナリノ御イベ)」と記載されている。ムメギヨラタチナリとは、海上から眺めた御嶽の尾根の美しさを讃えたものだとされている。
ヤハラツカサ・浜川御嶽・受水走水など、海浜に点在する聖地を総称して「薮薩の浦原」と呼ばれ、歴代の琉球国王も旧暦の4月の初穂儀礼に聞声大君らと帯同して巡拝したという。地元では子宝の神様とも言われている。
住所 沖縄県南城市玉城百名
国仲御嶽
国仲御嶽(ふいなーおん)は、沖縄県八重山郡の竹富島にある御嶽。島の偉人である西塘により創建された。
西塘は、オヤケアカハチの乱(1500年)で王府軍が八重山へ出兵したさいに、将の一人であった大里親方に見込まれ首里に連れてこられた。その後、竹富島に戻った西塘により、園比屋武御嶽の神を勧請した作られたという。
住所 沖縄県八重山郡竹富町竹富
サバ沖井戸
サバ沖井戸(サバウツガー)は、沖縄県の伊良部島にある井戸。簡易水道が引かれるまでは、貴重な水源であった。120段以上もある急な階段を下りた先にある。
住所 沖縄県宮古島市伊良部前里添
識名園
識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。縁結びのご利益があるとされています。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれた。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 – 1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。
中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、現在でいう迎賓館として使われた。「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。
第二次世界大戦で園内のほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元(工期:1975~1995年)である。
1941年、国の名勝に指定され、戦禍で壊滅後、1976年に再指定。2000年には国の特別名勝に指定され、同年12月にユネスコの世界遺産に登録。
なお、敷地内に「育徳泉(いくとくせん)」という泉が湧く。そこに生える淡水産の紅藻類「シマチスジノリ」は国の天然記念物である。
住所 沖縄県那覇市識名
恩納村瀬良垣の竜宮神
沖縄県国頭郡恩納村瀬良垣の竜宮神。小さな小島にひっそりと祀られている。
沖縄や奄美群島で遠い海のかなたにあると信じられていた楽土をニライカナイ(にるやかなや、にるや)と言うが、竜宮神はニライカナイの神だという。
住所 沖縄県国頭郡恩納村瀬良垣
帯岩
帯岩(おぴいわ)は、沖縄県宮古島市の下地島の西岸にある巨岩。旧伊良部町の史跡に指定されている。
高さ約12.5m、周囲約60mの巨岩で、通り池の南側約800mに位置する。1771年4月24日(明和8年3月10日)に起きた八重山地震の津波(明和の大津波)で打ち上げられたとされる。
明和の大津波は、高さ85mにも及んだと伝えられ、宮古諸島には無数の巨岩が打ち上げられた。岩の多くは下地島空港建設の際に爆破されたが、この帯岩だけは残され、佐和田の浜の巨岩とともに、巨岩を動かす津波の凄まじい威力を伝えている。
この岩は中央部がややくぼんでおり、人が帯を締めているように見えることからこの名称がついたとされる。地元では「オコスゴビジー」(大きな帯をした岩)や「ヌーマミージー」(馬の番をする岩)とも呼ばれる。
現在は島の信仰の中心のひとつとなっており、大漁、航海安全、家内安全の祈願が行われる。
住所 沖縄県宮古島市伊良部佐和田17394
繭気属性から相性の良いパワースポットを探すことができます。